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旅する料理人
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旅する料理人

正月過ぎのマルセイユにて

私は自分のことを、うまい物を食べることに貪欲な、旅する料理人だと思っている。旅のいちばんの目的は、 その土地のうまい物に出会うことだ。そのほとんどはレストランで、となるわけだが、市場を歩いていたりした際に、 新鮮な土地の産物を見つけた時のために、私は簡単な炊事道具一式ガスバーナー、厚手のフライパン、ココット (陶冶銅で作られたふた付きの鍋)、折りたたみのテーブルといす、食器とワイン用のグラスは、必ず車のトランクに積み込んで旅に出る。
これは、料理人が旅する時、どこでもうまい物を自分で料理できる特権みたいなものである。

パリに住んでいた時のことである。ある冬の正月過ぎの頃、ふと急にマルセイユに行きたくなった。カキ、魚はなんてったってこの頃が旬。 しかもマルセイユ風ブイヤベースとくれば、熱々のスープにニンニクのきいたアイオリ・ソース。うーん、悪くない!思い立ったら早い。

さっそく“旅の料理人の道具一式”を車のトランクに積み込み、一路マルセイユに向かった。マルセイユはフランスの表玄関で、古い港町。 魚介類のおいしい地として世界中にその名が知られ、ブイヤベーズはあまりにも有名。
旧港の沖合いには、デュマの小説「厳窟王」で主人公のモンテ・クリスト伯が入っていたことになっている島、イフ城が浮かぶ。 この旧港名物が、艀や何十隻もの船の市場。早朝から岸につけ、沖から獲ってきた魚を、漁師が網からはずすそばから、 女房たちが思いっきり大きな声で、「ホラホラ安いよ、今獲ってきたばかり!そこのお客さん、どお?」と、いやはやにぎやかなこと。 ブイヤベーズ用の小魚、舌ビラメ、カサゴ、ウナギもあるし、きれいなルージュ(ヒメジ)も並んでいる。

私は、考える。これを食べないテはない!そこで、旅の途中だからと言ってチップをあげ、ウロコと内臓を取り除いてもらい、 その魚をすぐ近くの浜辺で料理する。何も一流のレストランに行くばかりが能ではない。
  私も料理人。ムニエルにした魚に、たっぷりのライムをしぼり、網焼きにしたカサゴのうまかったこと。その日の夜は、 旧港を見渡せる小さなレストランで、新鮮なカキを1ダース食べて、もちろんその後に、ブイヤベーズを腹いっぱい。そんなにお金がなくとも、 私は幸せになれる方法を知っているというわけだ。

翌朝も、自然に車が旧港に向いてしまうのは、食いしん坊の私の習性みたいなもの。でも来て良かった。そこで、 なんと2メートルほどもあるうまそうなマグロを売っているのを見つけた。輪切りで売っていて、直径が50センチもありそう。 ところが、腹の大トロの部分を片っぱしからポンポン切っては捨てているではないか。ああ、あんなにうまいところを捨てちゃうなんて! なんともったいない!「マダム、それを少し売ってくれないか」と言うと、4〜5キロの大トロのところを、気前良く分けてくれるではないか。 冷凍じゃないホンモノ、それをタダで!!

こんな新鮮な大トロなら、ここではどうしても刺身でいきたい。だが困ったのは、しょう油である。とりあえずスーパーで探そうと、 車に戻りかけた時、真っ黒に日焼けした日本人が話しかけてきた。3ケ月ぶりに陸に上がったマグロ船の船員で、食事をしたいし、 キャフェでビールでも飲みたいが、言葉が通じないとこぼす。そして私の手元を見て「ホウ、いいトロだぜ」。さすが本職、目ききはいい。 赤みは高くて買えない。トロはやっぱり刺身でと、訳を話すと、「しょう油なんてやるよ。今、船がドックに入っているから、 俺から聞いたと、賄いの奴に言えばいい」。

お礼の先払いとばかり、目の前のキャフェでビールを一杯おごって、新港に船を探しに行く。しばらく走ると、船体に大きく○○丸と、 久しぶりに見る日本語。下から大声で呼ぶとひょっこり日本人の男が顔を見せたので、事情を話す。しばらく待っていると、 手になんとしょう油の一斗缶をぶらさげている。「遠慮するな、持って行け」と譲らない。旅のじゃまになるだけだと、断り続けて、 それでも一升びん。まったく海の男は気っぷがいい。お礼に、車に積んであった安いテーブルワインを差し出した。「悪いなあ、 こんな高いワインもらっちゃ」と、船乗りはすごく喜んだ。「いや、これは安物なんです」。「でも、なんたってフランスのワインだろ?」

寒い日だったが、心がなんだかあたたまってきた記憶がある。

当エッセイは日清社の「フーディアム誌」に連載された「酒井一之の〈おしゃべり ア・ラ・カルト〉」を転記したものです。よって版権は日清社が保有するものです。








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